「手続が大変そうだから、遺言は要りません」
「財産を遺したい」と言われた方が、遺言の作成前にお断りになることがあります。
理由として多いのは、財産が要らないからではなく、亡くなった後の手続が大変そうだからというものです。
お気持ちは自然なものです。財産をもらえるのかもしれないけど、やることがいっぱいありそうで不安に駆られてしまうのでしょう。
ただ、兄弟姉妹が相続人になる場面では、このお断りが思わぬ結果につながることがあります。
実際のご相談をもとにした架空の事例で、順に見ていきます。

事例登場人物
次のような事例を考えてみます。
Aさんは80代です。
Aさんには配偶者もおらず、お子さまもいません。
ご両親もすでに亡くなっています。
Aさんには、弟のBさんと妹のCさんがいます。
先に亡くなった兄のDさんには、子であるEさんとFさんがいます。
つまり、Aさんの推定相続人は第三順位の兄弟姉妹(B、C)とDの代襲相続人(E、F)になります。
遺言を作りたい気持ちと受け取りたくない気持ち
Aさんは、身近で支えてくれた弟のBさんに財産を遺したいと考えました。
ところがBさんは、遺言で財産を受け取ることを辞退したいと申し出ました。
理由は「相続手続の経験がない」「亡くなった後の処理が大変そうだ」「自分の子どもにまで負担を残したくない」というものでした。
相続を経験したことがなければ、こう考えるのは自然なことです。
ただ、「遺言で財産を受け取りたくない」と伝えることと、相続人でなくなることは、まったく別の話です。
兄弟姉妹が相続人になる場面では、この判断がかえって手続を増やすことがあります。
そもそも「遺言を辞退する」という手続はありません
遺言は、遺す方が自分の意思で作成するものです。
財産を受け取る予定の方との契約ではありません。
そのため、「遺言を辞退する」という法律上の手続はありません。
Bさんが生前に「私は要りません」と伝えても、Bさんが相続人でなくなるわけではありません。
配偶者も子も直系尊属もいない方が亡くなると、兄弟姉妹が相続人になります。
先に亡くなった兄弟姉妹がいれば、その子である甥・姪が代わりに相続人になります(代襲相続 民法889条)。
AさんがBさんの意向を受けて遺言を作らなければ、どうなるでしょうか。
Aさんが亡くなった後、Bさんは共同相続人の一人として相続手続に参加することになります。
辞退したから無関係、とはなりません。
遺言がなければ、相続人全員での遺産分割が必要になります
遺言がなければ、Bさんだけで預貯金の全額を自由に解約し、取得できるわけではありません。
妹のCさん、Dさんの子であるEさん・Fさんとの遺産分割協議をまとめる必要があります。
手続をしたくないから遺言を断ったのに、断ったことで相続人全員との手続が必要になります。
これが、この場面で起きる逆転です。
兄弟姉妹の相続は、なぜ手続が複雑になりやすいのか
兄弟姉妹が相続人になる相続には、次のような事情が重なりやすいです。
- 相続人の数が多くなりやすい
- 甥・姪が代襲相続人として加わる
- 長年付き合いのない親族が含まれる
- 相続人自身が高齢で、判断能力が低下している方がいることもある(相続人の判断能力の程度によっては、成年後見人等の選任が必要となり、手続がさらに長期化することがあります。)
- 戸籍の収集範囲が広い(亡くなった方とご両親それぞれの出生から死亡まで)
- 手続の途中で相続人が亡くなり、さらに相続が発生することがある
最後の点は、Bさんの心配と直接つながります。
遺産分割が終わる前にBさんが亡くなれば、Bさんのお子さまがその立場を引き継いで話し合いに参加することになります。
「子どもの代まで負担を残したくない」という心配が、現実になり得ます。
遺言があると、何が変わるのか
遺言で、誰に財産を承継させるか、誰を遺言執行者にするかを決めておくことができます。
遺言執行者は、遺言の内容を実現する役割を担う人です。
預貯金を特定の相続人に承継させる遺言では、遺言執行者が金融機関に払戻しを請求できます。
その預貯金契約に係る預貯金債権の全部を承継させる内容であれば、契約の解約を申し入れることもできます(民法1014条3項)。
遺言の内容を適切に設計し、弁護士を遺言執行者に指定しておけば、Bさん自身が金融機関を回らずに済む形にできます。
相続人全員への遺言内容の通知も、遺言執行者の仕事です。
経験がないことは、受け取れない理由にはなりません。
兄弟姉妹や甥・姪には遺留分がありません
遺留分とは、一定の相続人に保障された最低限の取り分です。
民法は、遺留分を持つ人を「兄弟姉妹以外の相続人」と定めています(民法1042条)。
兄弟姉妹にも、その代襲相続人である甥・姪にも遺留分はありません。
そのため、弟のBさんに承継させたいというAさんの意思は、遺留分をめぐる争いになりにくい構造です。
兄弟姉妹の相続は、遺言を作る意味が分かりやすく現れる場面です。
「子どもの代まで負担を残したくない」なら、むしろ遺言を
不動産がある場合
「子どもの代まで負担を残したくない」と心配される方は少なくありません。
特に不動産を相続した場合には、固定資産税の支払いや建物・土地の管理が続きます。
その不動産を所有したまま亡くなれば、今度はご自身のお子さまが相続することになります。
税金や管理の負担が、次の世代に続くこともあります。
ですから、この不安そのものは、もっともなものです。
ただ、遺言を断れば、この負担から離れられるわけではありません。
遺言がなく、相続人が複数いれば、不動産は遺産分割が終わるまで相続人の共有となります。
共有不動産全体を売却するには、原則として共有者全員の同意が必要です。その間も、不動産の管理や固定資産税の問題は残ります。
先ほど見たとおり、遺産分割が長引けば、次の世代がその手続を引き継ぐこともあります。
だからこそ、どの財産を誰に承継させるのかを生前に整理し、遺言で決めておく意味があります。
不動産を誰に承継させるのか。
預貯金をどのように分けるのか。
遺言執行者を誰にするのか。
こうした点をあらかじめ決めておけば、亡くなった後の手続を整理しやすくなります。
遺言の内容によっては、遺言執行者が不動産を売却し、お金に換えてから受け取る方に渡す方法を採ることもできます。
預貯金についても、遺言の内容を適切に設計しておけば、遺言執行者が払戻しや解約の手続を進めることができます。
借金があるのでは?
そして、次の世代への負担を心配する方には、もう一つよくある不安があります。
「財産だけでなく、知らなかった借金まで引き継ぐことにならないか」という心配です。
「借金が残っていたら」というご不安について
「財産を受け取った後で、知らなかった借金が出てきたらどうしよう」と心配される方もいます。
しかし、この心配は、遺言を作らなければなくなるものではありません。
BさんはもともとAさんの相続人です。
遺言がなくても、Aさんに借入れなどの債務があれば、その承継について検討する必要があります。
遺言を作る場合には、作成時点で把握できる範囲の財産と債務を確認しておくことができます。
預貯金だけでなく、借入れや保証債務などがないかも確認しておくことで、亡くなった後の判断に備えることができます。
また、遺言があるからといって、相続放棄ができなくなるわけではありません。
亡くなった後に予想外の債務が判明した場合には、相続放棄を検討することになります。
その際は、相続財産をすでに処分していないか、熟慮期間(相続放棄ができる期間)内かどうかを確認します。
つまり、「借金があるかもしれない」という不安も、遺言を作らない理由というより、財産と債務を事前に整理しておく理由の一つといえます。
遺したい方へ|「要りません」と言われても、遺言は作れます
受け取る予定の方に辞退を伝えられても、法律上、遺言が作れなくなるわけではありません。
遺言を作るかどうかを決めるのは、遺す方ご本人です。
亡くなった後に財産を取得しない方法は、遺言の書き方や、受け取る方が相続人かどうかによって異なります。
相続放棄をする場合は、原則として自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、家庭裁判所での手続が必要です。
だからこそ、「大変そうだから」という理由だけで遺言をやめてしまう前に、一度整理することをおすすめします。
税金についての補足
相続税が生じる場合、兄弟姉妹や甥・姪の相続税額は原則として2割加算の対象になります。
これは遺言を作ったことによる負担ではありません。
遺言がなく法定相続で取得した場合も同じです。
「遺言を作ると大変」ではなく、「遺言がないと大変」なことがあります
兄弟姉妹が相続人になる相続では、「遺言は要りません」と伝える判断が、かえって多くの手続を生むことがあります。
次のような方は、お元気なうちに遺言を検討する意味があります。
- 配偶者もお子さまもいない方
- ご兄弟が高齢になっている方
- 甥・姪まで相続人になる可能性がある方
遺したい方のお気持ちと、受け取る方の不安の両方を伺ったうえで、形を整えます。
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